浅井隆志の自己紹介させていただきます

2022.08.21

浅井隆志の自己紹介させていただきます

高卒で木工職人

私の父は建具職人をしておりました。幼少から父の背中を見て育ちました。当時は自宅の半分が作業工場だったので、私の遊び場も作業場でした。見よう見まねで木くずに釘を打つ工作のようなことをよくしておりました。軽トラの横に乗せられた現場に行ったことも多々あります。
子供ながら現場の掃除をしたり、片づけなどをしていました。そのたびに父からお菓子を買ってもらい、褒められたことが私の仕事観の源流かもしれません。当然のように父を尊敬し憧れがありました。
学生時代は柔道部に所属し上下関係、礼節の大切さを学びました。夏休み、冬休み、春休みと休みのたびに家業の手伝いをしていました。私は幼少時代から将来の夢は「職人」でしたので、高校を卒業して私が “ものづくり”の世界、家業についたのは当然の流れだったかもしれません。

あきらめた夢

19歳の頃、若気の至りか交通事故で大けがを負いました。4回ほどの手術と3年間のリハビリに通いました。階段で重いものを運ぶなどの職人の仕事は難しく、リハビリ後は少々性根が腐り、アルバイトを転々とするようになりました。
私が27歳の時に母が病でなくなりました。母は59歳の若さでした。親不孝というか心配ばかりかけていた私はなんだか母の病気が自分のせいのように感じました。闘病中にどんなことがあってもあきらめないという母の姿勢に触れて、このままではいけないという気持ちが芽生えてきました。同時に、一生懸命に生きていない自分をとても恥じました。

営業職への遅い転機

元々建具職人だったからか住宅に興味があり、不動産会社へ営業として就職をしました。もちろん、高卒で資格もなく業界経験もない私が勤められる会社といえば、営業成果で3か月0だとクビになるようなド営業会社でした。
経験も知識もありませんでしたが、必死に食らいついて成果を出すことができました。わずか10か月でトップセールスになれました。その時はとにかく知識の吸収と行動量におもきを置いてました。
そしてヘッドハンティングを受け、注文住宅の会社へと転職をいたしました。

売れないダメ営業の最来期

そこで待ち受けていたのが、まったく売れない営業マンとしての地位でした。前職は安売りの会社だったので気合と根性で売れました。しかし転職した会社は、富裕層向けで高価格帯の企業でした。いわゆる物売りから価値の提供へとシフトするのが難しかったわけです。それでも、母をなくした経験から学んだ「絶対にあきらめない」という思いで、独学で勉強し、試行錯誤を繰り返しました。
今では考えられませんが、休みは3か月に一度、毎日2時3時の深夜まで仕事をしていました。そのかいあってか、会社だけではなく業界でもダントツの数字を挙げることができました。

営業統括として採用と教育を

その後、営業統括として会社のマーケティング、採用、教育制度つくり、評価制度の構築を担当しました。
営業として幸せにできるのは年間10世帯のお客様。営業統括として間接的に幸せにできるお客様は年間100世帯。もしコンサルタントとしてさまざまな企業へ私のノウハウを提供できたら、幸せにできるお客様が100倍にも1000倍にもなると考えました。自身の経験をもってコンサルタントとして起業したいと思ったのが、創業のきっかけです。

そして今、さまざまな企業様からご依頼もいただき、また、社員満足度の高い企業となりました。

働きがいを生きがいへ
「どうせできないだろう」を「やれるまでやり続けよう」その想いを持ち、行動を変えることで様々なことを実現してきました。

私は今、働くことが喜びであり、生きがいとなりました。だからこそ、働くことの喜びを見出せるような施策、教育に生涯をかけ、取り組んでいます。御社の企業価値を高めるお手伝いができれば私の喜びです。

働きがいを生きがいへ
1人でも多くのビジネスパーソンに働きがいを

株式会社PDCAの学校
代表取締役 浅井隆志

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